犬を連れた逃亡者

チロの飼い主(チロM)

 

第1章 贈り物

 

美紀は深々とソファーに腰を落とし周りを見回した。

天井はゆうに3メートルはあるに違いない。

部屋の広さもちょっとしたホテルのロビーぐらいはある。そこに納められた家具や置

物ときたら世界の骨董一流品が揃えられ、これらに眼の利く人であれば溜息のつくよ

うな物ばかりであろう。

ソファーのサイドテーブルに置かれた小さな猿のメノウの彫刻の目には大粒のダイヤ

がはめ込まれていた。その辺の置物の一つでもあればパリ辺りで半年は遊んで暮らせ

るに違いない。

天井までとどく重い扉を開けて執事が夕食の用意が出来たと伝えに来た。

美紀は食欲がないからと夕食を断った。昼食も食べていないから是非にと奨めるが美

紀が手を振るとあきらめて、執事はメイドを数人引き連れて出ていった。料理はこの

国のトップに近い料理人で、世界の珍味が並べられる。どんな料理だろうと、居並ぶ

メイドの前で30人は座れる長いテーブルに一人座って食事をすることが食欲を旺盛

にするとは思えない。美紀一人のために揃えられた使用人は100人ではきかないだ

ろう。

美紀は大きく溜息をついた。

 

美紀は庭に出ると、いつもの日課にしている散歩に出た。

部屋の中で隠しカメラやマイクを探せば一ダースは見つかるに違いない。

屋敷の周りの雑木林の中をそぞろ歩きしているときだけが、監視の目を逃れられてホッ

とすることが出来た。一度、そっと雑木林の奥に入ったことがあった。杭に鉄線が引

かれてあり、鳥が引っかかっているのを見つけた。電流に触れたとしか思えない焼け

ただれた鳥の屍骸であった。振り向くとそこには牙をむいた軍犬と警備兵が立ってい

た。警備兵は丁寧に屋敷方面に戻ることをすすめたが、その態度とその手に握られた

大型の銃には有無を言わせぬ意圧があった。以来、美紀は屋敷の近くの散歩道しか通

らないようにしている。

この屋敷から出られるのは、総統閣下の招きでパーティーか演劇や映画を見に出かけ

るときと、たまに若い劇団員に演劇の指導に向かうことぐらいである。

会場までの途中で町の様子をうかがうことが出来るが、その町並みは美紀にはまるで

バラックが立ちならぶ貧民窟を想像させた。また、総統閣下の乗る車に向かって歓声

を上げる人々の着る服は薄暗く品粗で、体つきも貧弱で顔も覇気のないものばかりで

あった。総統閣下を神と崇める国民達は彼ら特権階級の贅沢をどの程度知っているの

だろうか。いや、知っているだろうがそれを押さえ込む洗脳と恐怖政治が国民の心深

く染み込んでいた。

美紀は何度も日本に返してくれるよう総統閣下に頼んだが、その返事は翌日届く、シ

ルクのドレスやミンクのコートの山であった。

 

美紀はここに監禁されるまで、豪華さに憧れ、歩き回る自由と引き替えにしてもいい

とさえ思っていた。しかし、実際に監禁されてみると、日々の暮らしに追われようと

も、自由がどんなにいいものか解った。しかも、世界の国々から国交を遮断した独裁

国家で、国民の暮らしを犠牲にして胡座をかく一部特権階級はすさまじい贅沢三昧だっ

た。国民を人扱いしておらず、洗脳教育は深く浸透していた。隣人は隣人を監視し合

い、不平を漏らす者は生きて帰った者は居ないと言う思想矯正院と言う名の監獄に入

れられた。それが美紀にはどうにも腹の立つことであり、また言い様もない黒い恐怖

であった。それでも、自由を渇望する美紀は逃げる手段を考え、いつでも行動できる

準備を心がけていたが、未だにチャンスらしい機会は巡ってこなかった。そうして、

美紀が東京のホテルからさらわれて3年がたっていた。

 

朝、美紀がベットの中でモーニングコーヒーを飲んでいるところに、執事が知らせを

持って来た。美紀の誕生日に総統閣下から贈り物が届けられたので、謹んでお受けす

るようにとの事であった。

自分の誕生日など忘れていたが、これ以上私に何のプレゼントがあると言うのだ、プ

レゼントなら自由をくれ。と、言いたいところをグッと押さえ。美紀は後で拝見する

から、居間のテーブルに置いておいて欲しいと執事に話した。それを聞いて執事は偉

大なる総統閣下の贈り物を後にするとはなんと言うことだと、目をつり上げた。

美紀は慌てて訂正し、すぐ着替えて居間に行くから見せて欲しいと執事を諌め、総統

閣下は私の様な者の誕生日まで心配りなさってくれる心優しい偉大な方である、と言

い添えた。

 

シルクの部屋着に着替えて、居間のソファーにくつろいだ美紀の前に直立不動で立っ

た執事は贈り物はペットの日本犬であり、総統閣下は美紀のために半年をかけて躾を

行わせた特別の犬であると語った。美紀は素直に喜んだ。秋田犬だろうか土佐犬だろ

うかと・・・。

ペットの犬が欲しいと総統閣下に話したのは、ずいぶん前の事だった。その時、総統

閣下はこの国では犬は軍犬か、または食用犬であり、ペットという犬は居ないと語り、

しばらく考えておられたが、その内何とかしようと約束してくれたのであった。ずい

ぶん前に話した事なのであきらめていたが、この豪華な監獄に囚人一人で居るのはた

まらなく寂しくなる。

ペットがいれば気も紛れると総統閣下も考えてくれたのだろう。

 

執事が指を鳴らし、居間のドアを開けて入ってきたのは女兵士であった。グレーの軍

服にキャップをかぶった女兵士を美紀が見たのは初めてで、もう少しカラフルであれ

ば日本ならさしずめガソリンスタンドの店員と見まがうなりである。ただ、髪は短く

切り、化粧気もなく、鋭い視線を美紀に投げかける一重の眼はまさしく兵士のもので

あった。

その、女兵士の持つ鎖に引かれて扉の影から出てきたものは、四つ足で這う裸の若い

女であった。

美紀は驚がくした。これは何かの質の悪い冗談かなにかか。

唖然として、目を丸くしている美紀に女兵士は、私の名はリャンである。これは偉大

なる総統閣下があなたに贈られたペットの犬である。私は軍用犬訓練所の訓練士であ

り、この犬の調教に携わってきた。畏れ多くも総統閣下から指令の下った特殊な犬な

ので躾等に戸惑わないよう私が駐在するようにと命令を受けてきた。我らが敬愛する

偉大なる総統閣下の深い心遣いに充分感謝するようにと女兵士は直立不動でいった。

兵士の言うことを信じられない思いで聞いていた美紀だが、これはどう見ても人では

ないか、どうしてこれが犬なのだと立ち上って執事に詰め寄った。

美紀の抗議に執事に変わって女兵士が答えた。

あなたが総統閣下にペットの犬を希望した。慈悲深い総統閣下はそれにお答えになっ

たのだ。総統閣下がこれは犬であるとおっしゃったのだからこれは犬なのだ。

あなたは総統閣下のお優しい心遣いを無にするつもりなのか。それはこの国を愚弄す

る国家反逆的行為であり、あなたに理解を得られなかった場合、執事はもとよりここ

の従業員も私も処罰の対象になる。そしてこの犬も処分される事になる。当然、あな

たには、思想矯正院へ入っていただく事になるといった。

矯正院の話はともかく、この若い女性を処分すると言う。処罰とか殺すではなく、処

分という物扱いしていることに美紀は狼狽していた。

美紀はこの裸で四つん這いの女性をペットの犬として受け取らざる得なかった。

この女性は首輪を付けられ、ウエストには大きなピンクのリボンが結ばれていた。贈

り物という意味であろう。終始うつむき、怯えていて美紀と顔を合わせることはなかっ

た。

 

第2章  ユーユ

 

この女性には総統閣下により「ユーユ」と名前が付けられていた。リャンはこの女性

を犬として扱い美紀の側に鎖を握って立ち、女性はその横で犬座りをしていた。

美紀はこのペットであるという女性にどう対応すれば良いのか戸惑っていた。裸で四

つん這いになり、首輪をされて犬のように人前を引き回されるこの女性は恥辱とは思っ

ていないのだろうか自分ならとても生きてはいられないと美紀は思った。

美紀はユーユと呼ばれるこの女性と女兵士リャンに出来るだけ係わらないようした。

 

従業員達はユーユをまるで汚らわしい物を扱うように扱った。

犬小屋から離れたところから、餌だと証する食べ物をユーユに当てるように投げ与え、

食べる合図もせずにほっておかれても、不思議なことにユーユはその土にまみれた食

物の前で犬座りをして何時間でも食べる合図をまっていた。

雨が降った。ユーユは雨が漏るであろう犬小屋の奥にうずくまる。ユーユは薄汚れ、

特に四つん這いの下側になる四肢や張りのある乳房、すっきりとした腹部に泥がこび

り付いている。汚れたユーユをリャンは池に引っ張って行くと池にけ落とした。そし

て、首輪に付けた鎖を引きユーユを池から這いあがらせると、ユーユは池の水を大量

に飲み、苦しそうに咳込みながら水を吐き出す。その苦しそうなユーユにリャンは同

じ事を繰り返した。遠くからそれを見た美紀は走りより抗議したがリャンは洗ってい

るのだと一笑に付すのだ。

庭をリャンがユーユを引いて走る。リャンの走りが当然早いので、鎖を引かれたユー

ユの首輪が締まってしまう。それでもリャンは走りを止めず、ユーユはグギェっと発

して倒れ込んだ。そんなユーユにリャンは容赦なく腹や乳房をけ飛ばすのだった。

そして、リャンはこのユーユを何かにつけ、罵倒し鞭で叩き背中と尻は何本もの鞭の

紫色の痕が絶えない。執事やメイドの居並ぶ前でユーユにフセをさせてから尻を上げ

させ、背中や尻を鞭で叩いた。それらは従業員達やリャンの隠された思いで、飢えに

苦しむ国民が大勢いるのも係わらず、豪華な屋敷で贅沢に暮らす外国人である美紀の

当て付けなのだ。彼らの美紀に対する気持ちは美紀も当然だと思っている、だからと

いって美紀はユーユへの鞭叩きを見て見ぬふりするわけにはいかなかった。その度に、

ユーユへの鞭叩きを止めるよう声を荒げ、躾だと言い張るリャンと言い争いになった。

ついに5日後、美紀は従業員達の反感を覚悟してリャンと大きく衝突した。このユー

ユは私が総統閣下から戴いたもので私が面倒見るべき事である。躾をしたというので

あればこれ以上必要ない、従ってあなたに居て貰う必要もない。リャンは鋭い目で美

紀を威嚇したが総統閣下に直接、訓練士の無礼をお話をすると言うとリャンは驚いて

了承した。保身を思えば総統閣下うんぬんは出来ればしない方が身の為だと思ってい

るがこの際止むおえなかった

 

リャンを屋敷から追い出したのはいいが、美紀にはこのユーユをどう扱えば良いのか

と惑うことばかりであった。

なぜなら、リャンを追い出してからすぐ美紀はユーユを連れて部屋に引きこもり、服

を着て二本足で立つように、また、どうしてこうなったのかを話すようにいった。し

かし、服を着せようとすると、ユーユは恐ろしいことをされるかのように非常に脅え、

話は犬のワンとキャンであり、二本足で立とうとすることもなかったからだ。

何処に監視の目があるか解らないので、美紀はこの女性を「ペットの犬、ユーユ」と

して扱うほかなかった。そうしなければ「ユーユ」はペット犬ではなく、必要のない

物として、どこかへ連れていかれ殺されるだろし、自分も反感を買に相違ない。美紀

はこの女性は日本人だと推測していた。なぜなら、微妙にこの国の人の顔立ちや皮膚

の色が違っていたし、たしか執事が日本犬と言っていたような気がしたからだ。

人扱いさせろと総統閣下を持ち出せば「総統閣下に戴いたペット」が「ペット」でな

くなるので、やぶ蛇になりかねなかった。

それでも、人を犬扱いしなければならない事に大きないらだちを美紀は感じていたし、

まして日本人かも知れなかった。しかし美紀にはどうすることもできないことがさら

に苛立ちを大きくした。

 

美紀が食堂で食事をするときは、足元でユーユに食事をさせた。執事は犬は外で餌を

与えるべきだと眉をしかめて言ったが、美紀が強引に押し切った。常に側に居させて

置こうと思ったからだ。目を離せば、従業員にユーユが何をされるか分かったもので

はないし、鎖を他の者に渡すと脅え美紀が持っていると落ちつくように感じたからだっ

た。

美紀の足元でユーユは犬食器から手を使わずに口で食事をしている。食べ物は主に粗

末な残飯であった。当初それを見た美紀は自分の料理をユーユに与えたが、メイドた

ちの視線を強く感じて止めることにした。メイド達にしても美紀が食べているような

料理を食べられるようなことなど生涯ないに違いない。その料理を彼女たちの言う

「犬」に与えることが反感をかわないという保証はない。美紀にとっても、ましてユー

ユにとって反感は最小限度にした方がいい、ましてリャンを追い出した件もあるから

と自重した。

 

今まで、美紀は午後に散歩をしていたが、午前と午後に雑木林の中をユーユを連れて

散策するようにした。監視の目を逃れられるのは雑木林の奥の柵と屋敷から最も離れ

た場所の一角しかないと判断したからだ。その一角で美紀はユーユにここは監視の目

が届かない所だから、話しても大丈夫だとユーユに囁きかけたが、まだ、ユーユから

人語を聞いては居なかった。美紀はあきらめてはいなかった。きっと長い間、酷い目

に合い洗脳を受けたのだろうと想像がつく。それでも、美紀は今にユーユが心を開い

てくれるに違いないと思っていた。また、美紀がペットが欲しいなどと言わなければ、

彼女は今頃、原宿あたりで友達と遊んでいられたのかも知れない、そう思うとやりき

れないような重い責任を感じた。

今まで午後の一回しか散歩しなかったのに何故二回にしたのかと執事はしつこく聞い

てきたが、美紀はペットの犬は散歩させるもので、午前と午後にペットを連れて散歩

するのは日本の習慣である、また、トイレの事もあり、いつでも外に連れ出す必要が

あると話して、執事にしぶしぶながら納得させた。トイレの件はまさしくその話しの

ままであった。美紀はユーユの鎖は離さず、必ずユーユの世話は自分でした。美紀は

執事やメイドの居るところでユーユに犬のトイレを使わせるのは忍びなかったし、ま

た、美紀の手が離せないことがあって、メイドに美紀のトイレを頼んだところ、ユー

ユがメイドに足で蹴られながら排尿しているのを見てしまったからだ。

ユーユはいつも同じ屋敷が見えなくなる潅木の影でおしっこした。鎖を美紀が離さな

いのは、離すと途端にユーユが脅えるということもあったし、ユーユはそう躾られて

いた、鎖を持った美紀に向かってユーユは尻を落とすとおしっこの許可の合図を待っ

た。おしっこが終わると美紀はユーユの尻を丁寧に拭いてやる。前にリャンは人が犬

ころの尻を拭くようなまねはするべきではないと声高に言ったが、日本では当然のこ

とだと美紀はやり返した。リャンは犬ころを人間のように扱うとはなんと廃退的な国

民だと呆れていたが、美紀は人を犬に洗脳する事が人のする事かと言ってやりたかっ

たがその時はやっとの思いで押さえた。それ以上に、裸の女性を犬のように曳き連れ

て散歩する自分の行為の異様さに目眩がした。

 

しばらくして、美紀の足に体を押しつける様な仕種が増えた。美紀はその度に、ユー

ユの頭を撫でたり上半身を膝の上に抱き上げて愛撫するようにした。執事もリャンと

同じように、そのような行為は犬にするべき行為ではないと主張したが、美紀の日本

で、そして世界でペットの犬はこう扱うのが普通であり、あまり文句が多いと総統閣

下に話をするという最後の言葉にやな顔をしたが、今では何も言わなくなった。

リャンが居た時にはユーユは夜、外の衝立を重ねた犬小屋とはとても言えない所で寝

ていた。朝、リャンが見えるとユーユはチンチンをして迎え、前に立ったリャンの靴

を舐めながら、舐め方が悪いと尻を鞭で叩かれていた。リャンを追い出した後、美紀

はユーユを美紀の寝室で寝かせる事を執事に了承させた。美紀は寝室のソファーに毛

布を引いたが、ユーユは美紀の手から鎖が離れると途端に落ちつきを失った。ソファー

をベットに近づけたり、同じベットに誘ったが、結局、ユーユは美紀のベットの下で

寝るようになった。そこがユーユには一番落ちつくところのようだ。夜分、ユーユは

時々うなされ飛び起きた、そして美紀の足を探り出し舐めるのだった。舐めていると

落ちつくようで、さんざん舐させてから、声をかけてやると安心してベットの下に潜

り込んだ。美紀はここまで洗脳するとは恐ろしい事だと身震いしたと同時に自分の身

の危うさと不安定さを改めて思った、従業員達の噂、密告、そして総統閣下の気まぐ

れで美紀の存在など芥子粒のように吹き飛ぶのだ。その夜は一睡も出来なかった。そ

して、逃亡の決意を新たにした。だが、ユーユをどうしたらいいのだろうか。ユーユ

は美紀の足枷だった。

 

 

第3章  決断につづく

 


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