チロの探偵犬物語 その1
チロの飼い主(チロM)
チロが病気になってしまった。
チロというのは私の愛犬の名前だ。どこにでも有りそうな名前だが、私はこの名前の
犬に私は合ったことがない。
最初は不服そうな顔をしていた。グッチとかセリーヌとかボンジュールとか付ければ
、
喜んだのだろうか。犬は犬らしい名前がいい。もっとも、チロは耳が聞こえない。私
が耳栓をしてしまったからだ。聞こえないので唇の動きなどで、解るのだろう。チロ
チロおいで、ヨシヨシなどと頭をなでてやると、尻尾を振ってうれしそうな顔をする
。
喋るのは、ワンとかキャンとかの犬語だ。当然か。
チロと言う名前は、オスにでもメスにでも付けられそうな名前だが、私の愛犬は立派
なメスの犬である。確認するようなことではないと言われるようだが、芸にかこつけ
て、チンチンさせる。
そのチロが病気になってしまった。
気怠そうに台所横の古毛布の上に丸まって目を閉じている。
熱がありそうなので、フセをさせてから、尻を上げさせ、尻に体温計を差し込む、犬
の体温はこうして計るのだろう。きっとそうだ。計り終わるまで動かないように尻を
なでていてやる、こうすると、気持ちよさそうにいつまでもこの姿勢のままでいる。
やはり、平熱より少し高めだ。飼い主としての責任を感じる。
昨晩、チロと喧嘩をした。ここの所、忙しかったので、チロをかまってやれなかった
事もあるし、私自身、むしゃくしゃすることもあって、昨晩は取引先と飲んで帰りが
遅くなった。不味い酒だった。
酒場で飲み屋の女といちゃついたときに、女の香水でも匂ったのだろうか。チロは私
の帰りを待っていて、尻尾を振りながらうれしそうに私に近づいてきたが、匂いを嗅
ぐと、フンといった顔をして居間のソファーの前でゴロンと横になった。ついでに脱
ぎ捨ててあった私のスリッパをさも汚いもののように、後ろ足で蹴ったのだ。いつも
叱られても噛じったり舐めたりしているくせに。
思わずムッとなった、犬が飼い主に見せる行為ではないだろう。
チロに近づくと、そっぽを向いているチロの首輪を持つと強引にこちらを向かせ、怒
鳴った。聞こえはしないが、怒っているのは解るだろう。四つ足を突っ張らせてお尻
を上げるお仕置きのポーズを指で指示した。尻を叩く一番きつい時のポーズだ。私の
怒りの収まらないことが解ったのだろう。しぶしぶだがポーズをとった。
いつもはそれでも、かるい平手打ちなのだが、今日はチロが遠ざけたスリッパを使う
ことにした。バチンと少し重く跳ねるような音がして、きっと打った部分全体にジワ
ー
と痛みとしびれが伝わるだろう。犬の指示鞭よりも音も大きく、叩いたという感触が
いい。また、いつも舐めたりかじったりしている物で叩かれるということで、屈辱感
を増幅させるかもしれない。私は好んで使う。いつもより強く、叩く数も多かったの
だろう。たまらずチロは逃げ出した。逃げだすチロの後ろから尻尾を掴んでやった。
肛門の回りが膨らんだが、なかなか抜けないように球が付いている。尻尾を掴んだま
まチロの尻を平手で叩く。手で叩いて手が跳ねるような打ち方ではなく、叩いた手を
そのままにするから、重く効く、チロの声がキャンキャンからギャンギャンに変わっ
て、腹から絞り出すような鳴き声を立てる。もう、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃにな
っ
ているだろう。尻尾を離すと、ドテッと音を立てて腰が落ちた。ここで止めておけば
良かった。ここまででも今日はやりすぎなのだから。
いつものお仕置きと今日のは少し違う、チロが悪いわけではないとの思いが、私の脳
裏をよぎったが、止まらなかった。チロの首輪に引き綱を付けると、庭に引っぱり出
した。庭に出るのを嫌がるチロを指示鞭で強めに叩きながら追い立てる。藤棚の支え
棒に引き綱を縛り付けるとそのまま家に引き返した、途中振り返ると、チロは引き立
てられるとき付いた泥で体と顔は泥だらけになっていた。野良犬の方がましかもしれ
ない。戻ろうかとも思ったが、この妙な怒りは収まっていなかった。
いつもなら、叩いた後は、十分に甘えさせてやるのに、今日はそれがなかった。それ
がチロには一番こたえているなずだ。
翌朝は早く目が覚めた。チロを見に行くと、藤棚の下に蹲っていた。
犬に人間の薬が効くだろうかなどと、妙なことを考えつつ薬箱から錠剤を探し出して
きた。ペット屋で買った、ステンレスのチロの食器を出すが、水の中に錠剤を落とし
てしまったら、全部水を飲まなくてはならないではないか。ムムム、結局、口移しで
水と錠剤を飲ませてやった。飲ませながら、この場合、犬とキスしているのだろうか
それとも、と思ったが、愛犬家なら当然のことなのだと自分を納得させる。チロがク
ウーン、クウーンと鳴きながら、だるそうにしながらも後ろ片足を上げる仕種をする
。
フンシなのだ。
ペットシートを玄関から持ってきてやり、チロに手を貸してやりながら、ペットシー
トの上に座らせる。この際、躾などと言ってられない。チロは下痢をしていた。やっ
ぱり冷えたのだろうか。残尿感もあるのだろう、ペットシートの上から動かない。チ
ロの頭を抱いてやりながら、お腹をさすってやる。
お尻をよく拭いた後、荒れるといけないので、肛門の中まで軟膏をたっぷりすり付け
ると、気持ちよさそうにお尻を突き出してくる。相手が犬でも恥ずかしくなる様なこ
とをしているじゃないかと思わず誰もいるはずもない回りを見回す。
俺は愛犬家なのだ。愛犬家なら当然することなんだと言いつつ、毛布に包んだまま、
チロを抱きかかえて居間のソファー座る。毛布に包まれたチロに顔を近づけると、鼻
と鼻をこすり合わせる挨拶を好んでするのにそれもしない。よっぽど具合が悪いのだ
。
ペスの食器にコーンフレイクを入れてやっても食べない。体力を落とすわけには行か
ない。そこでまた俺は愛犬家だを繰り返しながら、フレイクを口の中で噛み砕きなが
ら、口移しにチロに食べさせてやった。チロは下から口を大きく開けて、俺の口を待
つ、雛に餌を与える母鳥になったような気分になってくる。ついでに、早く元気なな
るようにと、チロの便秘用浣腸器に栄養ドリンクを入れると、抱き抱えながら、毛布
の中に浣腸器をつっこみ、挿入する場所を間違えないように手探りで注入してやった
。
乳幼児が病気などのとき、この手を使う。たぶん。
チロは目を白黒させていたが、おとなしくされるままになっている。やっぱり具合が
悪いのだ。いつもなら、浣腸器を見ただけで、区役所の犬係が来たかのような、大騒
ぎをし、捕まえるだけでも汗だくになり、浣腸して、それを我慢させるとなると、三日分の重労働をしたように疲れるのが常だ。
チロを病院に連れていった方がいいだろうか。
チロの探偵犬物語 その2
電話が掛かってきた。
私とチロの生活を唯一知っている奴からだ。病院を紹介してやるという。それも犬猫
病院だ。
通常の内科病院でもいいと思っていたのだが、私が犬猫病院に連れていく。と言った
のだろうか。
少しためらったが、いや、ずいぶんためらったが電話してみることにした。出てきた
のは、女獣医の声だった。事情は聞いているから、夜、病院を閉めてから、連れてき
なさいと言う。
夜の10時過ぎ、私はチロを車のトランクに乗せた。嫌がるチロを説得するのは容易な
ことではなかった。病気なのだからと、あれこれ説明し、首を振るチロの尻をピチャ
ピチャ叩きながらの説得であったが、耳が聞こえていないにも関わらず、ニュアンス
としては通じたようでどうにか納得させた。
病院は郊外のベットタウンの中にあり、10時ともなると、人通りもなく、静まり返っ
ていた。チロの曳き綱を引いて、病院の暗くなった裏口から入ると、中には電気がつ
いていて、呼び鈴を鳴らすと女獣医が出てきた。
その女獣医を診た瞬間、チロのことも何もかもが、一変で頭からふっ飛んでしまった
。
美人なのだ。どう表現しようとしてもうまくは言い表せないくらい、整った輪郭に半
開きの眼が如来像を思わせる、その奥から何とも言えぬ妖艶な光が私とチロを一別す
る。理性がぶち切れて、飛びかかるか、側に置いてくれと、足元にひざまずいて懇願
するか。二者選択を迫られているような葛藤の中に身を置いて、呆然としていると、
チロが私の足にぶつかった。チロを見ると、目があったが、すぐ横を向いてしまった
。
慌てて、口ごもりながら、自己紹介とチロの診察を受けて頂いたことへの感謝を述べ
る。女獣医はニコッと笑って、こちらにどうぞと診察室へ我々を先導してくれた。女
獣医を改めて見上げた時には、あの妖艶な視線はなく、人が変わったかのような。陳
腐な表現だが、白百合のような清楚な顔立の笑顔になっていた。この女獣医が内科医
で町医者をしていたら、腹痛とか、ちょっと気分がすぐれない、などのよく解らない
病状の男達で病院の前に長蛇の列が出来て、門前に市が立つに違いない。
チロを診察台に抱き上げると、チロは気丈に診察台の上で膝を付けた四つ足で立つ。
診察台の真上には手術用のライトやら、四方に診察用の器具の入れて有る棚が並んで
いる。女獣医はチロの口を開けて、覗いたり、腹を触ったりした後、チロの尻に体温
計を差し込んだ。私の計り方に間違いはなかったようだ。そして、チロの乳首を指先
で摘んだまま、チロのメスのワレメを診察ヘラでかき分けるではないか。おいおい、
そこは関係ないんじゃないか。などと思ったが、病院で白衣医者や診察器具に囲まれ
ていたりすると、患者とかその家族はもう何もいえなくなってしまう。何をされても
治療の為なのだからと、納得する習慣が付いている。チロは何をされても我感せず風
で、診察台の上で身動きもせず前を見ている。いろいろ診察した結果、女獣医は、ア
ラビヤ語だか、ドイツ語だかの専門用語を並べると、詳しく見るために入院させまし
ょ
うと言う。入院と聞いて戸惑う。少なくともチロがチロであってから、家から出した
ことはない。何よりもチロは女犬なのだから。
女獣医はどうしても入院が必要だと繰り返す、わからん専門用語を繰り返されると私
は弱い。だからパソコンにも弱い。当病院は入院施設も整っているからと、あの美し
い顔を近づけて話されると、こうゆうのに特に弱い。
結局、入院させる事にさせられてしまった。女獣医は愛犬家なら当然のことですよ、
と、これ以上ない笑顔を見せた。
チロを診察台から下ろすと、女獣医は当然のように私から曳き綱を取ると、チロを奥
の部屋へとリードを引いた。チロは驚いたように私を振り返り動かない。
ピシッとチロの尻に鞭が打たれた。いつの間に鞭を手にしたのだろう。犬猫病院だか
ら調教鞭など置いて有るのだろうか。「躾は大事ですからね、言うことを聞かない犬
には鞭が一番いいのですよ」と女獣医は私に向かって笑いかけた。戸惑う私を尻目に
2発3発とチロの尻に鞭が炸裂する。チロは涙を浮かべた目で私を見るが、私は「仕
方がないじゃないか」といった視線をチロに返すしかなかった。
診察室の奥が犬の入院病棟になっているらしい。左右に檻が並び。入院している犬が
何匹も蹲っている。チロを奥から2番目の檻の前に連れていくと、女獣医は鍵を開け
、
チロの尻に鞭をくれた。尻はもう鞭の跡が赤く十数本も付いている。ピチピチと小刻
みにチロの尻を叩きながら、女獣医はチロを檻の中に追い込んだ。
左の檻には、ボクサー犬。右の檻には秋田犬の雑種らしい。どちらもオスの大型犬だ
。
チロが檻の中に入り蹲ると、左右の犬がのそっと起きあがった。黄色く濁った目でチ
ロを舐め回すよう見ると、チロの檻の柵に鼻を突っ込んで左右に動きながらさかんに
匂いを嗅ぐ、長く突き出した口の脇から長い舌が垂れ、涎が舌から垂れ落ちる。どう
見ても下品だ。これ以上なく下品だ。
うちの箱入り娘に、、、、、病院の白い壁と医療器具、そして美しく妖艶な女獣医。
それらに圧倒され、ぼーっとなった頭から熱が冷めてきて、冷静になっていくのが解
る。これほど醒めたのは、おふくろが火葬になり、出てきた白い骨を見たとき以来だ
。
鍵を閉めようと檻の前に立っていた女獣医を右手で押し退けると、チロの檻を開け、
帰るぞと声をかけた。チロはぱっと起き上がると、すばやく檻から這い出してきた。
まあ、女犬だからすばやくと言っても、ほどがあるが、それでも私の知っているかぎ
りで一番早かった。その時、私の背中に痛みが走った。
女獣医が半眼だった目を大きく開けて睨み付けて鞭を振り上げている。美しい女が怒
っ
た顔をすると、並の女よりこわい。この女獣医には狂気を感じさせるような迫力があ
っ
た。何幾度も鞭を振り下ろしてくる。「やめろ、この馬鹿やろ!」と怒鳴る。顔を鞭
打たれるのは、願い下げなので二の腕で顔をカバーし、チロを先に部屋から出そうと
した。その時、ギャッと女獣医が悲鳴を上げる。チロが女獣医の足に噛みついたのだ
。
私が女を押すと、簡単にひっくり変えてしまい、立ち上がろうとするが、白衣がじゃ
まになったのか、じたばたしている。それを尻目にチロと私は病院を飛び出した。
チロは元気になった。病院から帰ってすぐ、前よりも元気なくらいだ。何が効いたの
だろうか。栄養剤の浣腸が効いたのだろうか。しかし、あの浣腸は間違えた所に注入
してしまったはずだが、、、よくわからん。とにかく元気になったのだからよしとし
よう。犬猫病院を紹介してくれた友達に電話すると、女獣医とは飲み屋であったのだ
そうだ。すこぶるつきの美人だし、意気投合して酒をたらふくごちそうになり、翌日
は最悪の二日酔いになったと言う。そして、彼女からチロを診てやると電話が掛かっ
たのだそうだ。事の一抹を簡単に話すと、平謝りで詫びる。おごるから許せと言う。
そう、これにも弱い。弱いものが多くて困る。そう思いながらソファーに座り、パイ
プに火を付けると、その前をチロが横切る。さっきから、私の前を行ったり来たりを
繰り返している。私が躾た歩き方よりも何というか、、、たとえて言えば、、色っぽ
い。
お澄まし顔で首筋をすきっと上に伸ばし、前足の動きは虎とかライオンとかの、猫族
の動きのように、手首をくるっと巻くように、前に運ぶ。腰部を下にしならせるから
、
臀部が上を向く、尻尾など真上を向きそうだ。しかも尻を振りながら。
だから、だから、その、チロが後ろ向きになると、チロのメスの部分が丸見えなのだ
。
チロの下毛は不潔になるからと、剃ってしまってある。だから、なおさらむき出しだ
。
チロが後ろ向きになるときは、私はそっぽをむく、視線の持っていきように、困るか
らだ。
後ろ向きになるたび、下やら上やらを向く。振り向いたとき、チロがニッと笑ったの
に私は気がつかなかった。弱いものがまた増えたようだ。
しかし、、、チロの勘と鼻は使えるかもしれない。
探偵依頼の手紙を片手に私はそう考えていた。
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