恵子・2
書き初め(H20/1)
恵子の檻
ご主人様に指示されて書き始めました。
恵子の回想記(隷女生活への道程)
1、御主人様との出会い(SMプレイ)
私が御主人様と出会ったのは、はるか以前 私がまだ18才、二人ともまだ学生の時でした。当初はノーマルなセックスだけでしたが、御主人様は その当時からSの性癖が有り、私を裸にして縛りその写真を撮って楽しみ始めました。その当時 まったくウブだった私は、少しおかしいなとは思いつつその事について友達や親に相談するわけにもいかず 男性とはその様なものかと思い いやいや従っているうちに その様なアブノーマルなセックスにも 徐々に慣らされてしまいました。
室内での軽い縛りの次ぎは、剃毛、蝋燭プレイとエスカレートして行きました。
さらに 休日には車で郊外に連れ出し人がいない事を確認すると衣服を脱がされ、剃毛済の裸体を逆さ吊りにして野外に晒すのでした。
今思えば その頃のプレイは初歩的なソフトSMでそれ程過激な内容では無かったのですが、当時の私には耐え難い苦痛でした。特に野外プレイは全裸で身体の自由を奪われ他人が来ても逃げる事も隠れる事も出来ず、いつもドキドキ ハラハラし 心臓が止まる思いで耐えていました。しかし愛する人が歓ぶ事ならばと ひたすら耐え忍んでいました。
二人の間には紆余曲折は有りましたが、他人目には仲の良い普通の恋人どうしを装いながら二人のSM関係は続きました。時が経ち二人は皆さんに祝福され結婚し、子供も出来ました。
子供達が小さい頃 御主人様のSM熱は多少収まっていましたが3人目の子供を出産し終えると、とんでもない提案をして来ました。インナーラビアにピアッシングすると言うのです。何度拒否しても
「もう子供を生む事も無いし邪魔にはならない。」と何度もしつこく要求するのです。
2、刺環(ボディピアッシング)
ボディピアスは昨今でこそ若者達の間で流行り一般化しつつありますが、当時は外国の雑誌で見かける事が有る程度でした。
御主人様はその様ないやらしい写真に影響され私のインナーラビアにピアッシングしようと言うのです。断っても断ってもしつこく要求され、とうとう根負けして承諾してしまいました。ピアッシングすると言っても道具が有るわけではありません。ワインのコルクをあてがい千枚通しで穿孔し孔が塞がらないように細い針金製のリングを通し、傷が固まるまで消毒するという荒っぽいものです。孔の傷が固まるとリングを徐々に太い物に交換し孔を拡張し、ラビアのリングに様々な物を吊り下げラビアを引き伸ばして遊ぶのです。
ラビアの次ぎはニップルです。続いて鼻(鼻腔壁)、牛の様に鼻輪を着けようというのです。
ラビアやニップルは着衣で隠せますが鼻は隠しようがありません。短い棒状の物を刺して傷が固まるのを待ちました。傷孔が固まってからは細いリングを装着し、外出時のみ外すかマスクをして徐々に太いリングに替えて行きました。御主人様はプレイの一環として どの様な命令にも従います。という趣旨の宣誓書を作成し署名と朗読を命じます。ピアッシング等新たなプレイを計画し実行しようとする時には、前もって絶対服従を宣誓させられ、どの様なプレイも拒否する事は許されません。もはや後戻りは出来ない私はご主人様のセックススレイブとして自分を捨てどの様な命令にもいやいやながらも従順に従がっています。
現在では 身体のピアスは 鼻、両乳首、へそ、クリトリス、左右のラビアに3個づつと数も増え 太さも4?以上が通るように身体改造され、鼻以外は常時太いピアスを装着して生活しています。